イーサリアム資金盗難の救済措置 EIP-867にまつわる議論と平井氏の懸念

目次

    イーサリアムなどの仮想通貨/暗号通貨を利用したICOによる資金調達額は、2017年に約40億USドル相当に達しました。このように近年ICOによる資金調達の活発化に伴い、ICOプロジェクトを狙ったハッキングによる盗難や、実装されたコードの不備による資金凍結(誰も取り出せなくなること)の被害も増加しています。そこでETHが盗難・凍結した場合に、そのETHを取り戻す方法がEIP-867として提案されました。

    本記事は盗難・凍結したETHを取り戻す方法を提案したEIP-867にまつわる連載記事の後半です。前半記事では、EIP-867で提案されたETH回収の仕組みについて解説しました。本記事ではこの提案に関する考察と、イーサリアムEIPコミュニティの編集者である平井氏が示した2つの懸念に焦点を当てて解説をします。

    ハードフォークによる救済

    当時最大級のハッキング被害が発生したThe DAO事件では、イーサリアムがハードフォークすることによってハッキングが無かったことになり、ETHは取り戻されました。ハードフォークではブロックチェーンに大幅な仕様変更を加えるために、それまでのブロックチェーンとの互換性は保たれなくなります。

    ハードフォークする新たなブロックチェーンが提案された際、この新しいブロックチェーンを正当なものとして受け入れるかどうかは、ネットワーク上の各ノード(ブロックチェーンの管理やマイニングを行っている世界中に分散したコンピュータ)が選択します。

    The DAO事件では、ある特定のハッキングのみを無効にするということが、ブロックチェーンの特長である ”過去に起こったことが変更不可能である” という性質に反するとして、1割程度のノードから反対されました。結果として、9割方のノードが採用した新しいブロックチェーンが正式なイーサリアムとなり、反対の立場にあるノードが元のブロックチェーンを運用し、これがイーサリアムクラシックとなりました。

    このようにハードフォークを行うには、その提案を行う事自体の労力に加えて、ノード全体の半分以上の同意が必要であり、簡単に実現できるわけではありません。

    EIP-867によるソフトフォーク

    EIP(Ethereum Improvement Proposals)コミュニティでは、現状のイーサリアムの問題に対する解決策が議論され、一般的に現状のイーサリアムに互換性のある形式の提案が承認され、アップデートとして配信されます。

    EIP承認の流れやERCについての記事はこちら

    ネットワーク上のノードは、このEIPで承認されたアップデートをマイナーな公式アップデートとして受け取り有効化していきます。

    EIP-867で提唱されたETHの救済方法は、このEIPの承認手順に則ったソフトフォーク的な方法だと言えます。

    EIP Editorとは?

    EIPコミュニティには、EIP Editorという権限を持つ人物がいます。彼らは新たな提案を受け取り、その提案が適切である場合はEIPとして番号を与えて、EIPに関するGithubレポジトリに提案を検討(Draft)状態として公開します。

    また、公開された提案に対する議論の末、EIPが公式アップデートとして取り込むべきと判断した場合には、提案を承認(Accept)し最終版を確認(Final)した上で公式なアップデートとします。

    (提案されたEIPが経るプロセスフローチャート 引用:https://github.com/ethereum/EIPs/blob/master/EIPS/eip-1.md

    2018年2月22日現在、EIP Editorはイーサリアムの開発者であるVitalik Buterin氏を含め6名です。EIP EditorやEIPコミュニティの目的やガイドラインについてはEIPの1番としてGithub上に掲げられています。

    EIP Editor 平井洋一氏の懸念と辞職

    2017年2月上旬に、6名いるEIP Editorの一人であった日本人論理学者の平井洋一氏が、EIP-867に関する提案を以下の2つの懸念事項を理由に受け入れられないと表明しました。平井氏はその後、この件をきっかけにEIP Editorを辞職します。この一件は、今回巻き起こっているEIP-867に関する倫理的な議論を象徴する出来事だと言えるでしょう。以下に平井氏の懸念事項を紹介し考察します。

    平井氏の懸念 ① 〜イーサリアムの分散自治的な側面〜

    ブロックチェーン技術に根ざしているイーサリアムは、そもそも国家や政府はもちろんのこと、どの様な立場の人や組織も管理権限を持たない分散自治組織的な設計がされています。この組織では権限者が居ないかわりに、全ての意思決定で全ユーザーの投票により過半数以上の賛成を必要とします。

    しかし、そうとは言ってもイーサリアムの技術的な変更も公平なユーザーの投票によって過半数を得る事が最善とは言い切れません。イーサリアムは元々Vitalik氏を中心とした天才的なプログラマ達によって開発されている緻密な暗号理論に基づいたシステムです。これを正しく更新し続ける為には高度な専門知識が必要になります。そのため、イーサリアムEIPではこの様な背景から、EIP Editorが改善案の承認を最終的に行う事で初めて公式なアップデートとなるような一部の管理権限を認める仕組みを設けています。

    この様な理由から権限を持つEIP Editorは慎重に検討して、イーサリアムコミュニティ全体にとって公平な改善案のみを承認するべきだと言えます。

    平井氏の懸念事項の一つ目はこの点です。つまり、もし今回提案されたEIP-867が承認されれば、今後不正(と思われる)ETHの盗難や凍結があった場合に、この資金を最終的にどのように処理するのかと言う、極めて特定の利益に関わる決定権をEIP Editorが持つことになります。

    これは上述したイーサリアムの分散システムの哲学に反します。EIP Editorはイーサリアム利用者の信任を得て決定される訳でも無く、また、その存在についても一般に高く認知はされていません。よってEIP Editorが特定のアカウントの残高情報を変更する強い権限を持つべきではない、というのが平井氏の指摘です。

    “I don't think anybody has the authority to make an irregular state change. I don't think I have the authority to review processes regarding who has the authority to make an irregular state change. These beliefs come from the lack of authorizations from Ethereum users. I don't think all users of Ethereum gave authorization to this EIP process, or know about the EIP process. The EIP process is not mentioned in the licenses of Ethereum clients. EIP editors are not chosen democratically either.”

    (引用: https://github.com/ethereum/EIPs/pull/867#issuecomment-365541405

    平井氏の懸念 ② 〜日本の刑法との抵触の可能性〜

    また日本人である平井氏がEIP Editorとして今後このEIP-867で述べられたERPを承認した場合に、日本の刑法 ”電磁的記録不正作出及び供用” に抵触する可能性があることを述べています。この刑法は、ある電磁記録に関する権限を持っていない状態で記録を作り出す・改変することを罰するという内容のものです。

    例えば他人の預金残高の記録を持ち主の許可無く改変することはこの刑法で罰せられる可能性があります。

    平井氏は直接的にどのように抵触するかについては言及していませんが、おそらく、EIP Editorとして他人のETH資金の情報を所有者の許可なしに書き換えるERP案を承認する行為が、この刑法での犯罪の幇助にあたると考えているのでしょう。

    The Japanese penal code defines a crime called "Unauthorized Creation of Electromagnetic Records". (edit: this item applies also outside of Japan) I'm currently not in Japan but in Germany. I suspect there might be a similar rule in Germany, and I don't know how broadly that applies. Once I thought it's enough not to touch individual cases because I had civil cases in mind. After realizing the penal code aspects, I'm not sure if I can do anything here in this pull-request.

    (引用: https://github.com/ethereum/EIPs/pull/867#issuecomment-365541405

    平井氏の辞職

    平井氏は当初、上述した2つの懸念事項を理由にEIP-867に対する否定的なコメント寄せました。ただし平井氏はその後の議論を経て、イーサリアムの哲学に反するという①の懸念事項については解釈を無視することで解決できるとしました。しかし、②の刑法への抵触については無視できないとしました。
    平井氏が否定的なコメントを寄せる一方、イーサリアムのコミュニティマネジメント及びParityのテクニカルコミュニケーションを担当しているアフリ氏は、今回のERPの提案を強く支持しています。
    そして、アフリ氏はTwitter上にて、日本という一つの国の法律に抵触する恐れがあるという理由で、イーサリアムに有用な提案が拒否されることは、イーサリアムコミュニティで起こるべきではないという旨の意見を表明し、平井氏がEIP Editorを辞任することを呼びかけました。

    平井氏はこれに応答し、もし平井氏自身が辞任したとしても、それは後続のEIP Editorが刑法を無視することになるだけだという意見を表明しました。結果として、その10時間後にEIP Editorを辞任するに至りました。

    各国の規制と分散自治組織の対立

    今回紹介したEIP-867に関する議論は、イーサリアムにて大きな問題となっている盗難・凍結された資金の回収に関するものでした。しかしここから、イーサリアムと言う分散型システムを開発・推進するコミュニティが実際に存在することによって発生する、日本の法規制との対立構造が浮き彫りになりました。

    公開されたブロックチェーンによって作られるシステムは、一般的に国などの従来の枠組みを超えた分散自治的な特徴を持っています。しかし、そのコミュニティに参加する人々は、何処かしらの国籍を持ち、自国の法規制に束縛されます。

    今後ブロックチェーンをベースとした分散自治的な組織が更に拡大するでしょう。そして、そこで発生する従来の国や政府などの枠組みによる規制との対立をどのように解決していくのかは、分散自治組織を現実社会で利用する上で非常に重要な視点となるでしょう。

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